高橋修一です。
日頃皆様には絶大なるご支援を賜り衷心より厚くお礼申し上げます。
おかげ様で平成19年4月の県議選初当選から、青森県議会においては、5度の一般質問や、予算・決算特別委員会質疑を行わせていただくとともに、平成19年度から総務企画常任委員会、平成20年度から環境厚生常任委員会、議会運営委員会に所属し、県政の諸課題解決に鋭意取り組んでおります。
併せまして党務においては、自民党青森県連青年局次長として党勢拡大のため日々努力しているところであります。
さて、平成21年を振り返ってみますと4月に青森市長選挙が行われ、「継続か、刷新か。」民意は市政トップの交代を選択することとなりました。結果は結果として厳粛に受け止めなければなりません。平成7年4月に青森市役所に入庁した私にとりましては、行政サービスとは何か、まちづくりとは何か、福祉とは、教育とは、現在の私の礎は市役所の現場であります。
新市政がスタートし、任期中どのような市政運営を執り、どのような青森市を創っていかれるのか、地元選出県議として、また青森市民の一人として注視して参りたいと思います。
そして、7月には地元国会議員が突然の引退表明をされました。驚きで言葉も出ませんでしたが、しかし、一人の政治家が自らをもって下した重い決断と捉え、今こそ党が一丸となって次につなげていくしかない。と感じ取りました。
その後、党公認候補の公募が行われることになり、率直に言って「私のような若輩者が」と思いつつも、一方で「自らが自らの可能性を否定したらそこで終わり。政治の世界に生きる以上、政治への情熱、志を貫くことができなければ」という思いをもって公募に挑戦いたしました。
やるからには真剣勝負で挑みました。しかし、その上で選ばれなかったのは事実でありまして、自分自身の足りぬところ、劣るところを今一度見つめ直しながらも、公募挑戦を一つの大きな糧として、今一度原点にかえり地道に活動していくことが大切であると考えているところです。
8月に行われた衆議院総選挙。
自民党にとっては、歴史的な大敗北。
今、国民が自民党に問うていることは、我々自民党議員が考えるよりはるかに根深いものがあるのではないでしょうか。
自民党が、自民党たらしめてきた価値観は揺らぎ、崩れつつあることを痛感しました。平成22年は自民党にとって正念場の年となることは明らかです。
私どもが今一度、忘れてはならないこと。それは、何故我々は、勝利することが出来ず、歴史的な大敗を喫するにいたったか。日本全国大敗をしたのは何故か。
そのことを忘れ、その気持ちを失うことがあれば、自民党の再生はできないものと考えるところです。
我々政治家は、市民、県民、国民の代表であります。
政治家がそのことにどれだけ使命感を持つことができるか。気概を持って、地域を、故郷を、我が国を建て直していく。今まさにそのことが問われていると思います。
自民党は戦後保守政治の歴史上、常に国を誤ることなく、国家、国民の繁栄を築き、政権を担いつづけてきました。
国民の心が、もう一度自民党に戻ってくる。このことを信じ、私もその先頭に立つ覚悟です。私自身、政治の道を駆け出したばかりの身であります。だからこそ、行動で示していくより道はない。そのように考えます。
終わりになりますが、今後とも変わらぬご支援をお願いするとともに、皆様にとりましても平成22年がご家族共々健康で実り多き年となることを心よりご祈念申し上げます。
困難な時代であればこそ、使命感に燃え、信義を重んじ、いかなるときも信念を貫く政治家であり続けたい。
国旗と国歌を尊び、我がふる里青森発展のため愚直なまでに精進することを皆様に固くお約束申し上げまして、私の挨拶に代えさせていただきます。
平成22年1月
青森県議会議員 高 橋 修 一